2016年06月07日



ちょっと前に作った作品「顕微鏡の中の小アジア」試作。
顕微鏡で見た世界
をCGで描いてみた。


myinnerasia at 09:39|Permalink作品 | アジア
高い建物から街を見下ろすことは顕微鏡を覗くことに似ている。
その建物が高ければ高いほど、街の音が遠くに聞こえ、遮断された窓の場合は、街の音は
完全に聞こえなくなる。
街を行き交う人々が小さく見えるが、そこに生活感はなく、ただの「動くもの」としか見えない。
人も、車も、すべてのものが厚みを失った2Dの世界になる。厚みを失った2Dのアジア

顕微鏡で覗く世界も同様。
音もなく、厚みもなく、リアリティからは遠くにある世界。顕微鏡の中の小アジア。
本来、厚みを持つはずの微生物は、僕たちの認識としてはいつも2Dとして考えられる。

平面絵画は3Dの世界を2Dに閉じ込めたものである、と考えることもできる。
特に西洋絵画では、遠近法という技術によって、古くからVR(バーチャル・リアリティ:仮想現実)が
行われてきた。

一方、初期の日本画は、輪郭を線で描き、遠近法を持たない、と言われる。
マンガは日本画の系譜の延長上にある。

3Dであるはずのものを2Dで描くということ。
遠近法によって肉眼で見えるままに描こうとしなくても、VRのヘンテコなメガネをかけなくても、
そこにリアリティーを感じる、という鑑賞者の力。
この力こそが人間のリアリティーである。
そして、2Dで描かれた絵は、線画(=ワイヤーフレーム)は、観る者にそこにリアリティーを感じるよう
努力することを強いる、逆育てゲーにほかならない。

myinnerasia at 06:44|Permalink虚構 | 逆育てゲー

2016年06月06日

苦悩系アートボサノバ系(自称)アートの対極には「(笑)い」がある。

「笑い」ではなく「(笑)い」
「笑い」は楽しくてハッピーだが、「(笑)い」はそれにくわえていやらしい。
皮肉な感じ。

「苦悩系アート」や「ボサノバ系アート」の後ろに(笑)をつけてみれば
そのいやらしさがわかる。

「苦悩系アート(笑)」
「ボサノバ系アート(笑)」

。。。いやらしい。

そして、「(笑)」はそれらのゲスでヤンスなアートを(笑)うだけではなく、
みずからが作品となる「(笑)いを含んだアート」というものもある。
ただ苦悩するのではなく、ボサノバ系でオサレなだけではなく、そこに
(笑)いを含ませることで、ひとつメタレベルに上がっているようなアート。

自分の内面にだけある苦しみや葛藤を作品として表現することも、
オシャレで気取った(自称)アートも、
(笑)いを含んだアート作品の前では陳腐化して見える。

これはアートだけに限らず、ビジネスやブランディングにも応用できるものだ。

(笑)いを含んだビジネス。
(笑)いブランド。

フィーはいつも無敵で、苦悩系やボサノバは「フィー」と言われてしまったら終わりである。

「『作者の心の葛藤を描きました』だと?フィーフィーフィーフィー」
「シュッとして気取ってるなあ。 フィー」

たとえそのアート作品が(笑)いを含んだものであったとしても、「フィー」と言われてしまったら
そこで勝ち負けは成立しなくなる。
「フィー」はもともと勝ち負けを無効にする哀しい敗北宣言という意味でしかない。
ただ、少なくともフィーを(笑)うことだけはできる。 

myinnerasia at 05:24|Permalinkフィー | (笑)い

2016年06月05日

僕が小学生のとき、"フィー"があった。

フィーとは、当時の僕が育った地元にしかないものだったと思うが、小学生が言い争いに
なったときに、急に鼻の下を伸ばして白目を剥いて相手の言うことをさえぎるように、

フィーフィーフィーフィーフィーフィーフィーフィーフィー

とだけ言い続ける、というものである。
つまり口論には負けたことになるのかもしれないが、その口論の勝ち負けという枠を超えて、
相手の言うことを一切受けつけず、その口論自体を無効にする攻撃である。
フィーをされてしまうと、その後どれほど正論を吐こうが、あるいはその変な顔をバカにする
ようなことを言おうが、さらに、フィーフィーフィーフィーフィーフィーフィーフィーフィーと言われる
だけで、それ以上の口論は成立しない。あとは腕力勝負のケンカに発展することになる。

そこに敷かれた勝ち負けのルールを超える新たなルールを勝手に持ち込むこと。
戦略。
あるいは哀しき敗北宣言。

当時、一番仲が良かった天才少年Kがある日ぽつりと僕に言った。
「オレ、ずっと考えてるんやけど、あの"フィー"に勝てる言葉ないかな?」

この天才少年Kは、僕の人生に大きな影響を与えた人物であるが、この「"フィー"に勝てる言葉」
という発想は、僕にとって衝撃的だった。

無敵になること。

天才少年Kはその後、美大に進学して、アーティストとして活躍している。
僕は彼が「"フィー"に勝てる言葉」という課題を僕に与えたあの日以来、"フィー"に勝てる言葉を
探し続けている。

 

myinnerasia at 05:54|Permalinkフィー 

2016年06月04日

作品名が「無題」となっているものもまた苦悩系アートである。

(本当は自分の個人的な苦悩を描いたものでゲスが)鑑賞者の自由な解釈で作品を
観てもらいたいから作品名は「無題」でヤンス。って。。。

解釈を鑑賞者に委ねるのであれば、作品を鑑賞させる必要などない。
鑑賞者が解釈をして、どんな解釈も正解、というのはゲームではない。
アート鑑賞はゲームであるべきだ。
いや、ゲームでも、ましてやアートでもないなにものかであるべきだ。
だから「無題」という作品名はダメ。 

あるいは作品名としてではなく、本当に作品に名前がない場合は括弧書きで「(無題)」と
することになっているらしい。
アート、アート作品、アート作品に名前を付けること。考えてみればこれらはすべて虚構で、
特に「アート作品に名前を付ける」という制度に従わない、という「(無題)」は、「無題」と
しながらも「無題」とい名前を付けることでそこに意味を持たせようとしているいやらしさ
よりかはましである。

だが「(無題)」であっても、それをアートという制度からは抜け出せないまま、ただ作品に
名前を付ける、という制度から抜け出せただけのものにすぎない。

「無題」という作品名に括弧書きを加えるのであれば、「無題(笑)」が一番正しい。
 

myinnerasia at 06:16|Permalinkゲスでヤンス | (笑)い