2016年06月03日



ちょっと前に作った作品、C(imm)「(私の中の)街」の試作。
ワイヤーフレームのアニメーションにしてみたもの。

myinnerasia at 11:58|Permalink作品 | メタロジック
特に美大の卒業制作展や、高校の文化祭での美術部の展示に多いと思う。
苦悩系アート。
個人的な苦悩をアートにしました、というやつ。
暗くて、閉鎖的で、ひとりよがりで。
それらしいタイトルがついていたり。

表現することでその苦悩から逃れようとしているのが見えるからいやらしい。
それを「アート作品」と名乗って高尚なものにしているのがいやらしい。
現代的なテーマとはかけ離れたところで個人的な問題だけを扱っている無責任さ。

苦悩系アートなんか、所詮ゲスでヤンスなものである。
一種のボサノバである。

「私のこの苦しみを作品にしたでゲスよ。」 
 

myinnerasia at 06:05|Permalinkゲスでヤンス 

2016年06月02日

3D CGの世界では、平面、曲面にかかわらず、三角形の集合として描くのが基本である。
CG用語ではこれを「ポリゴン」と呼ぶ。
なぜ三角形が最小単位になるかというと、数学的には、同一直線上にない3点は平面を
確定するから、ということになるが、そういうことはとりあえず置いておこう。
とにかく、三角形が平面、曲面の最小単位である。

そして、その三角形を構成する3本の線だけを描いたCGの下絵にあたるものを、「ワイヤーフレーム」
という。そのまま日本語にすると「ハリガネ枠」といったところか。
CGは、そのワイヤーフレームを構成する一つ一つのポリゴンへの光の当たり方などから
どういう色になるのかを計算して描くことで、三次元的な表現をする。
これをもう少しわかりやすくするため、 CGでいつも例に挙げられる最も有名なポットの図を。
teapot
 
いきなり三角形ではなく、四角形で構成されたものになっているが、実際はこの四角形には
描かれていない対角線があり、つまり各四角形は二つの三角形が合わせられたものである。

ワイヤーフレームの絵は、明らかに線だけで描かれているにもかかわらず、 それを見る者には
曲面を幻想することができる。
このポットを構成するポリゴンを粗くすれば(=ポリゴンのサイズを大きくすれば)どんどんその
元の形はなくなる。それとは逆にポリゴンを細かくすれば、どんどんなめらかになり、元のポット
に近づく。

つまり、これは非整数次元的であり、粗いポリゴンで描かれたワイヤーフレームの曲面というも
のは、形而上にあるはずの曲面という概念をさらに抽象化したものである。

ワイヤーフレーム、特に粗いポリゴンで描かれたワイヤーフレームの絵を見て、そこに立体像を
幻想させることは、説明不足なものであり、つまり逆育てゲー的である。 

myinnerasia at 06:22|Permalink虚構 | 逆育てゲー

2016年06月01日

ベノワ・マンデルブロが体系化したフラクタル幾何学は大きく次の3点について語っている。
非整数次元、自己相似、微分不可能性。

ここで、フラクタル幾何学についてご存じない方のために、その説明に最も使われるコッホ曲線
について。
コッホ曲線は、上記の3点を説明するのに最も分かりやすい例だろう。
以下、Wikipediaよりコッホ曲線の描き方の図を拝借。
svg

まず、一本の直線を4等分し、真ん中の2本を山形に折る。これが基本形。(右上)
4本の部分線を同じく4等分し、同じようにそれぞれを山形に折る。(左下)
これを繰り返す。(右下)
この繰り返しを無限に繰り返すことにより、コッホ曲線ができあがる。

この繰り返しを行うことによって、無機的だった基本形(右上)がどんどん有機的な
形に見えてくるようになる。
本来、線は一次元のものであることは明白であるが、その線で構成されているはずの
コッホ曲線は、どんどん面に近づいていく。

これをもう少しわかりやすく表しているのがヒルベルト曲線である。
これは基本形をカタカナのコの字形にしたものだ。同じくWikipediaより。
Hilbert_curve

ヒルベルト曲線では、上記の「線が面に近づいていく」というのが分かりやすい。
そしてマンデルブロはこれを一次元と二次元の中間にある、1.X次元と定義し、
それまで整数でしか表されることのなかった次元の表現に少数を持ち込んだ。
マンデルブロの定義は感覚的なものにとどまらず、そのフラクタル図像が非整数次元で
何次元になるのかという計算式も定義している。

コッホ曲線とヒルベルト曲線を見ると「自己相似」の意味もよく分かる。
その形を構成するどの部分を見ても、その全体像の縮小相似形になっている。
これを自己相似形といい、これは現実世界のあらゆるところに見られるものであるという。

ところで、これらの直線で構成されたフラクタル図形を「曲線」と呼ぶことに違和感を感じない
だろうか?
フラクタル幾何学で「微分不可能性」というときのポイントがここにある。
ふたたびコッホ曲線に戻って考えよう。
コッホ曲線を無限に描き続けたことを考えた場合、その中のどの部分をとっても、尖った部分
が現れることになる。つまり、無限に描き続けられたコッホ曲線はどの部分をとっても
微分不可能である、ということである。

これについても、現実世界のすべてのものに当てはまることである。
この世に存在するあらゆるものは、その最小部分まで拡大して観察すると、かならず尖った部分
が現れることになる。たとえどれだけなめらかな面を持った物質であっても、それは分子で
構成されていて、つまり分子レベルではなめらかではなくなる。
「コッホ曲線」「ヒルベルト曲線」というときの「曲線」とは、この本来なめらかなはずの曲線
というものが形而上のもので、実はあらゆる曲線が微分不可能である、ということを浮き彫りに
するものである。

浮き彫りにされたものを、単にアイロニーとしてだけ捉え、「ああ、確かにこの世には曲線も
曲面も存在しないなあ」という理解で終わるのはもったない。
確かにこの世には曲線も曲面も存在しない。直線も平面もすべて形而上のもの。
ここで気づくべきことは、実際には存在しないはずの曲線、曲面、直線、平面たちをそうであると
認識する人間の力である。形而上のものを抽象的に捉える能力。日本的な言い方をすれば
「見立て」。

フラクタル幾何学は、近代科学の中で無意識のままものごとを抽象的に捉え、その事自体を
忘れていたことを思い出させ、さらには人間に形而上のものを抽象的に捉える能力が備わって
いることを思い出させるものであった。
 


myinnerasia at 06:16|Permalink虚構 | メタロジック

2016年05月31日

僕がiPhoneを初めて買ったのは3だった。
確かiPhone3が日本で初めて販売されたiPhoneだったと思う。
初めてその箱を開いたときに、説明書を探したのだが、みつからない。

新しい物を買ったときに、僕はあまり説明書を読まずにいじり始めることが多いのだが、
説明書が入っていないのはそれなりに心細くなるものだ。
そしてやがて、iPhoneについては説明書を見なくてもいじっているうちに使い方が分かる、
ということに気付いた。
というよりも、「説明書がなくても使い方が分かるほどシンプルな操作性」というコンセプトで
デザインされたもの。僕は別にApple信者ではないが、Appleの製品にはいつもそういう
考えぬかれたコンセプトを感じさせられて参りましたーになる。

そしてiPhoneのそういうコンセプトを追うかのように、以降、世に送り出される他社製品も
説明書をつけないものが増えてきた。そのコンセプトまでを理解した上で、どこまでそれを
徹底させているかが見ものである。

買ったばかりのものに説明書がついていない場合、それを使うものは単に「便利なもの」を
新しく手に入れたというだけではなく、「好奇心を刺激する新しいおもちゃ」を与えられた
ことになる。
説明も何もないまま、ボタンを押してみてどういう動きをするのか。長押ししてみたり。2回
押してみたり。。。
そして脳が学習し、やがて使いこなせる道具(=からだの拡張としての)になる。

つまり、説明書のない買ったばかりのものは、それを使う人が育てられる「逆育てゲー」だ。 
Appleはおそらくそこまでを意図して、世の中にあたらしいおもちゃを与えたんだろう。

説明不足はそこにゲームを産み出す。逆育てゲーというゲーム。
Dismalandはネットでチケットを買う際にも不親切で、自分であれやこれやして、チケットが
販売される日時とどこで買うことができるのかを調べる必要があった。
また、会場内ではトイレの場所を聞いても教えてくれない。無視される。
Dismalandの場合はAppleと違って、「説明書がなくても使い方がわかるほどシンプル」を
目指したものではなく、説明不足であるために育てられることの楽しさを演出したものだと
言えるだろう。意図してのことなのかどうかは別として。


myinnerasia at 06:13|Permalinkアジア | 逆育てゲー