2016年05月25日

ぬか漬けは数種類の乳酸菌と酵母、それとあまりありがたくない雑菌がせめぎあう小アジアだ。
毎日かき混ぜることによって、酸素を好む菌と酸素を嫌う菌をその上下で入れ替える、という
作業がその旨味を引き出すコツ。

ぬか漬けを作ることの楽しさは、この小アジアを育てていく楽しさであり、いわばSim Cityのような
ゲームをしているような感覚になることができる。
かき混ぜを一日サボると途端にそのにおいに変化が現れたり、育てこむことでどんどんその味が
熟れて(なれて)きたり、とまさに育成ゲーム感覚だ。

特にこの「育てこむことで熟れる」という特徴のため、世間には「◯十年育て続けた」という
ビンテージもののぬか床もあり、これからぬか漬けを始めようという人がそれを新しいぬか床に
少量混ぜ込むことによって、その数十年の味を引き継ぐ、ということもできる。

そして何よりもぬか漬けは美味い。
塩味と酸味とぬかやその他の混ぜものによる旨味のハーモニー。。。たまらん。
生で食べられる野菜を一晩浸けこむだけで、あの味に変わるということがすばらしい。
実際、漬物屋で売られているぬか漬けは、元の生野菜よりも数倍の値段で売られている。
一晩かまる一日漬けたというだけで値段が数倍に跳ね上がるとは、まさに錬金術だ。

何を漬けるか、を考えるのが楽しい。
きゅうり、ナスは定番であるが、僕はみょうがやセロリを漬けたものが好物。
他にも、ゆでたまごや魚類を漬けたものまである。やったことはないけど。

ぬか漬けをすることのもうひとつの楽しみは、そこに色々なものを混ぜ込むことだ。
昆布と鷹の爪は定番であるが、旨味出しのために鰹節や煮干し、アミエビなどの動物性のもの
を入れる人もいる。
この季節は実山椒が出回る季節で、実は僕も先週、実山椒を買ってきてぬか床に入れておいた。
実山椒は「サンショール」という成分に殺菌効果があるらしく、これからの季節、ぬか床の
腐敗防止と、乳酸菌の過発酵による「すっぱすぎ」防止に役立つはず。

ぬか漬けに小アジアを感じること、それを育てることの楽しさ、というところに僕の作品の本質への
ヒントが隠されている、とずっと思っている。 

myinnerasia at 06:16|Permalinkアジア 

2016年05月24日

C(imm)-004 from tesh nakamura on Vimeo.

世の中のダメなものたちを、さんざんゲスでヤンスボサノバなどと罵った後で自分の作品を
ここに挙げるのは勇気がいる、わけでもない。
自分の作品には責任を持って制作しているし、自分の考えを伝えるためには世の中のダメなもの
をゲスでヤンスしていく必要がある。

C(imm)シリーズは、ゲームでもなく、科学でもなく、ましてやアートでもないなにものかについて、
「アジア」という言葉を思いつく以前に創った作品である。
当時はその言葉の意味を明らかにはしなかったのだが、C(imm)とは"City (in my mind)"の略である。

(私の心の中の)街。
「アジア」以前は"それ"を"City"と呼ぼうとしていた。 

 このC(imm)シリーズは、当時試そうと思っていた、CGでのある描画技法について検証するための
試作ではあったが、このシリーズの延長上に、僕にとっての「街」を描く、という意味があった。

創る者の意図から大きく飛躍して、 創る者でさえ想像できなかった展開を見せる作品=街。=アジア。
実際にこのかたちと色はプログラミングで計算されて描かれるものであるのだが、それをプログラミング
した僕にさえ、どういうかたちになるのかは想像ができなかった。
 

myinnerasia at 07:08|Permalink作品 | アジア

2016年05月23日

世の中では「アート=オシャレ」という認識がかなり浸透している。まるでアーティストが、
あるいは何らかのかたちでアートに関わっている人が、オシャレな人、という認識をされるようでる。

あるいはよく言われる「クリエイター」という職業。
僕は未だにクリエイターと呼ばれる人たちが何を創る仕事をしているのかわかっていないのだが、
どうやらクリエイターもアーティストらしい。そしてオシャレだそうだ。

知り合いが結構いたりするので実例を挙げづらいのだが、「オシャレなアート」と呼ばれるもの、
あるいはそういう作品には、だいたい時代への責任というものが感じられない。

ただ、シュッとしている。

そして、そういうものが置かれているところではボサノバが流れている。

だから、そういう作品群のことを「ボサノバ」と呼ぼう。

時代に責任を持たず、ただシュッとしていてオシャレなアート(笑)。
一方で、アート史を背負って今の時代にあるべきアートについてマジメに考えているアーティストもいる。
どちらも「アーティスト」と呼ばれる。

ボサノバの作品から何かを読み取ろうとすることは不可能である。
なぜなら、その作品にはこちらが読み取ろうとするレベルでの意図は含まれておらず、ただシュッとする
こと、インテリアをオシャレな空間にすること、「カッコイイ」と感じさせることがその意図のメインだからだ。
なので、そういうものは世界のアートシーンで語られることはなく、せいぜい個人のインテリアの一部として
活躍するのみである。

そして、これらボサノバは言うまでもなくゲスでヤンスのひとつの形である。
それは、これらの作品が以下のような会話の中で生まれてくるからだ。

「この絵はもうちょっと色を浅くしたほうがオサレになるでゲス。」
「ここにこういう文字を入れといたでヤンス。もちろんヘルベチカでゲス。ひっひっひっ」
「名前はフランス語っぽい響きがオサレでゲス。ラ・なんとかにするでヤンス。」

ところで、世の中でよく議論されるバカげたテーマに「アートとデザインの違いは何か?」がある。
アート側の人間の優越感とデザイン側の人間の劣等感の対立。
だがここでは、「ボサノバ=デザイン」と言いたいわけではない。

むしろ逆だ。

本来、人間の営みはすべて「アート」と呼ばれるべきである。
アートをデザインよりも高尚なものと位置づけるその態度が「ボサノバ」を産み出す根源になっている。
本来、人間のすべての営みを指すはずだった「アート」という言葉を、大層なものにまつりあげたために、
ボサノバがノサバルことになった。

では、「アート史を背負って、今の時代に責任をもっているアーティスト」のことを何と呼べばいいのか?
彼らには「アーティスト」とは別の呼び方が必要だ。
たとえばそれは「メタ・アーティスト」とでも呼べばいい。
これで本来の「人間のすべての営み」としてのアートのひとつとしてボサノバもアーティストであると
言えるし、ちゃんとマジメにやっているメタ・アーティストと混同されることもなくなる。

とにかく、ボサノバをアートとしている今のままではあまりに恥ずかしい。

myinnerasia at 06:36|Permalinkゲスでヤンス 

2016年05月21日

「◯◯をイメージしました」というデザインがよくある。
勝手にイメージしてりゃいいのに、それを作品にするとは。

例を挙げようと思って、googleで検索すると、ごろごろ出てくるよ。ゲスでヤンスなのが。

たとえばこれ(二子玉川ライズ)

 「プラトーの上に立ち並ぶ様々な建物は、リボンで繋がれた宝石をイメージしました。」

。。。勝手にイメージしていてください。どうせそのイメージなんか共有できないですから。
共有できたとしても何も面白くないですから。

このデザインに至るまでのやりとりは以下である。

「今度のプロジェクトのテーマは『旅』にするでゲスよ。え?理由?いや、二子玉川は東京の将来を
担う子どもたちを育む街なんでゲスから、人生を『旅』になぞらえてそういう感じでいくといいでヤンスよ。
へっへっへっ」

「敷地には台地をイメージしたでゲス。台地ってプラトーって言うらしいでヤンス」
「お!いいねー。プラトーと言った方がなんかいい響きだねー」
「へっへっへっ、そうでヤンスね」 

「じゃあプラトーの上に並ぶ建物はリボンで繋がれた宝石あたりをイメージしとくでゲスかね。
へっへっへっ
え?コンセプトの『旅』との関係?このリボンのような遊歩道を歩くことが旅ということでいいん
じゃないでヤンスか。」

以上のやりとりを経て、この建物が生まれた。
くだらん。
もっとマジメにものを創ってほしいものだ。
 

myinnerasia at 10:24|Permalinkゲスでヤンス 

2016年05月20日

「〜でげす」、「〜でやんす」という語尾で終わる言葉はどこかの方言なんだろうか?
そのふたつを混ぜたような「〜でがんす」というのは広島の古い方言だと聞いたことはある。
また、「〜でありんす」というのもあるが、これは元々郭言葉で、遊女の出身地がわからないように、
方言を消すためにつけられたものであるらしい。

「〜でげす」、「〜でやんす」 については調べたこともないが、太鼓持ちの言葉という印象を
与えるものである。これは赤塚不二雄あたりのマンガにそういうキャラが出てきたためかも知れない。
とにかく本来の由来はどうであれ、ここでは「〜でげす」、「〜でやんす」というのを太鼓持ちの
言葉と勝手に決めつける。

「〜でげす」、「〜でやんす」という言葉を使う太鼓持ちにものを作らせるとろくなことはない。

「今回のモニュメントのデザインでげすが、◯◯ということで△△なデザインを採用したでやんす、いっひっひ」
「この絵は◯◯にしたほうがいいでげすと思ったのでこうなったでやんす、いっひっひ」
「この店の名前は◯◯というのがシャレが効いていていいでげすよ、いっひっひ」 

こういうプロセスを経て世に送り出されることになった不幸な作品のことをこれから「ゲスでヤンス」と
呼ぶことにした。
 

myinnerasia at 10:58|Permalinkゲスでヤンス