2016年08月13日
ソーカル事件
思想としてのポストモダンのブームが去ったのはソーカル事件が発端であった、と言われている。
ニューヨーク大学の物理学教授だったアラン・ソーカル教授が、当時のポストモダン思想誌「ソーシャル・テキスト」に「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」という擬似論文を投稿し、それが受諾されそのまま掲載された、という事件である。
何が事件だったかというと、この論文はまったくのデタラメで、当時のポストモダンの思想家の言葉を引用しつつ、意味のない数式を散りばめたひどいものであった、ということだ。
当時のポストモダン思想家が自然科学用語を誤用したり、いいかげんに引用したりすることへの批判だったわけである。
ニューヨーク大学の物理学教授だったアラン・ソーカル教授が、当時のポストモダン思想誌「ソーシャル・テキスト」に「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」という擬似論文を投稿し、それが受諾されそのまま掲載された、という事件である。
何が事件だったかというと、この論文はまったくのデタラメで、当時のポストモダンの思想家の言葉を引用しつつ、意味のない数式を散りばめたひどいものであった、ということだ。
当時のポストモダン思想家が自然科学用語を誤用したり、いいかげんに引用したりすることへの批判だったわけである。
このソーカルの擬似論文がポストモダン思想の権威であったはずの「ソーシャル・テキスト」に掲載されたことにより、ポストモダン思想家たちが自然科学用語を無意味に引用している、ということを浮き彫りにした。
以降、それまで難解とされてきたポストモダン思想は権威を失い、ブームが去ることになった。
今でもこのソーカル事件によりポストモダンというものは忌み嫌われる対象となっており、「ソーカル事件」という言葉はポストモダニズムを批判する際の決まり文句になっている。
だが果たして本当にソーカル事件はポストモダニズムを打ち砕くことができたのだろうか?
ポストモダニズムはあらゆる意味において「最終形」である。
それを否定するものがあったとしても、それはポストモダニズムに取り込まれることになり、そこから先に進むことはない。つまり、「ポスト・ポストモダン」というものはない。
ソーカル事件について言えば、このソーカル事件そのものこそが極めてポストモダン的なるものである。
虚構、捏造、文脈の脱線。これらはまさにポストモダンを言い表すキーワードであったはずだ。
したがって、ソーカル事件を持ち出すことによってポストモダニズム批判をすること自体が滑稽である。
以降、それまで難解とされてきたポストモダン思想は権威を失い、ブームが去ることになった。
今でもこのソーカル事件によりポストモダンというものは忌み嫌われる対象となっており、「ソーカル事件」という言葉はポストモダニズムを批判する際の決まり文句になっている。
だが果たして本当にソーカル事件はポストモダニズムを打ち砕くことができたのだろうか?
ポストモダニズムはあらゆる意味において「最終形」である。
それを否定するものがあったとしても、それはポストモダニズムに取り込まれることになり、そこから先に進むことはない。つまり、「ポスト・ポストモダン」というものはない。
ソーカル事件について言えば、このソーカル事件そのものこそが極めてポストモダン的なるものである。
虚構、捏造、文脈の脱線。これらはまさにポストモダンを言い表すキーワードであったはずだ。
したがって、ソーカル事件を持ち出すことによってポストモダニズム批判をすること自体が滑稽である。