黄金比と1/fゆらぎと不自由さと文化人類学を義務教育の必須科目にせよ

2016年08月31日

歴史を学ぶということについて

僕は小学生の頃からずっと歴史の授業が苦手だった。
◯◯年に何があったか、ということを暗記するということがとても嫌いで、歴史が嫌いになった。
今でも僕は日本史も世界史も大嫌いなのだが、それはとても損をしている、という自覚がある。

この歳になったら、今の自分に不足しているものについて、それを親のせいにしたり、教育のせいにしたりする、ということは明らかに間違いではあるのだが、やはり暗記を中心とした歴史教育については未だに恨みを持っている。
 

そんな僕は、大学では建築デザインを研究していたが、研究室の名前は「歴史意匠研究室」というもので、デザインだけではなく、建築史も研究対象になっていた。
工学部の中で歴史を研究対象にする、ということが何とも不思議なことではあるが、デザインと歴史が似たような分野としてまとめられていたのだ。

当時も当然歴史が大嫌いだった僕は、建築史というものにもまったく興味がなかった。

ただ大学では受験戦争が終わった戦後であるということもあってか、歴史というものの学び方は暗記が中心だったわけではない。
現代において歴史を学ぶということは、「どういう流れで現代に至るのか」ということを学ぶことである。

建築史家や美術史家たちは、それぞれの専門の時代や芸術運動などを研究テーマに、より詳細にある時代について研究したり、ある芸術運動に属する芸術家に誰がいて、どういうものを創ったか、というようなことを細かく学ぶのであろうが、専門家ではない僕たちが歴史から学ぶべきことは、「現代に至る流れ」である。

ルネサンスにどういう人がどういう作品を創ったか、ということがちゃんと言えることよりも、ルネサンスによってそれまでの「芸術」というものがどういうように変わったか、ということを時代背景なども含めて大局的に理解することである。
細かいことはどうでもいいんだよ、バカ野郎、である。

そして、歴史を学ぶことは「現代に至る流れ」である以上、当然のことながら現代がどういう時代か、ということを知ることを本来の目的とするべきである。そしてその時も当然、大局的にこの時代を捉えることが最も重要なことである。
細かいことは(以下同文)。



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myinnerasia at 08:02│Comments(0)雑な談 | 教育

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