2016年08月12日

アンケートに答えを求める、という怠慢について

かつて、「アンケートによって空間の快適さを評価する」というゆるい研究をやっていた研究者に、僕の研究内容について、「そんなものは科学ではない」と批判されたことを今でも根に持っている。

「空間の快適さ」という極めて主観的な問題について、「快適さ」の定義も曖昧なままに、一般人へのアンケートによって解を求めるという怠慢さ。



本来であれば、「快適とはどういうことを指すのか」という定義をしっかりと行い、その上でそこで定義された快適さを満たす条件の仮説を立てた上で、それを実証する方法を検討する、という手順を踏むべきであり、その「実証する方法」について悩み続けることになる問題である、と僕は思う。
僕はそんな退屈な研究テーマを選ばないし、もし選んでしまったとしたら、「仮説を実証する方法」について悩み続けることに研究人生のほとんどを費やすことになると思う。

あるいはその仮説を実証する方法についてのメタレベルから、哲学的問題として「快適さ」について考えようとしただろう。
そこまでの心構えがないのであれば選んではならない研究テーマである。

その研究は、窓の大きさをいくつか用意し、何人かの被験者に実際にその空間に入ってもらい、「快適度」を10段階で答えてもらう、というものだったと思う。
つまらない研究だ。
そこでは被験者は100人程度いたのだろう。

たとえ100人の被験者中の全員が「快適だった」と答えたとして、その答えに何の意味があるというのか?
「100人中100人が『快適である』と感じることができる窓の大きさ」を決めるデータにはなるのだろう。
だがそれでも依然「快適とはどういうことか」という問題の解答は得られていない。

窓が大きいことと快適であることの論理的な関連性を説明するところまで行き着かなければそれは科学とは言えない。
「人は窓が大きいほど快適と感じるようです」では、小学生の自由研究レベルである。
そんなやつに僕の研究を「そんなものは科学ではない」と言われたことを20年以上経った今でも根に持っている。

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