2016年09月08日
ビッグデータは宇宙の縮図
さて、では堂々とあるバズワードについて大いに語ることにしよう。
本来はバズワードを自分からは発しない、ということが大切で、そのためにもバズワードが話題になった時は適当に受け流すことを心がけるべきだが、ちゃんと話を聞いてもらえる場であるなら大いに語ればよいからだ。
ここがその「ちゃんと話を聞いてもらえる場」であると僕は信じている。
そして、ここで取り上げるバズワードは、「ビッグデータ」に他ならない。
本来はバズワードを自分からは発しない、ということが大切で、そのためにもバズワードが話題になった時は適当に受け流すことを心がけるべきだが、ちゃんと話を聞いてもらえる場であるなら大いに語ればよいからだ。
ここがその「ちゃんと話を聞いてもらえる場」であると僕は信じている。
そして、ここで取り上げるバズワードは、「ビッグデータ」に他ならない。
いっときは、バズワードだけに猫も杓子も「ビッグデータ」という言葉を連呼していたIT業界においても、最近ではその言葉はあまり聞かれなくなった。
かつて「データウェアハウス」や「データマイニング」、古くは「多変量解析」などという言葉でバズワードとして何度も登場した言葉の塗り直し、あるいは別の角度から同じようなことを言い直しただけの言葉。
そのことにさえ気づかないまま、「ビッグデータ」とさえ言っておけば様になると勘違いしているゲスでヤンスたちがのさばっていた。
それは仕方のないことでもある。なぜならそれがバズワードというものだからだ。
ここで大切なことは、「(そこで扱われている)バズワードの本質は何か」ということである。
ビッグデータ、データウェアハウス、データマイニングなどは、それを応用可能な技術としてうまく活用することで経済的な結果を得る、とうのがこの資本主義社会での常識になるのであろうが、個人の問題としてそれについて考えるのであれば、そこに本質を見出すよう心がけることが大切である。
ビッグデータ、あるいはそれと同じようなことを指すものの本質は、それが「宇宙の縮図である」ということである。
高速に大量のデータを処理することができるコンピューターによって、人間がデータを眺めているだけでは気づくことができなかったある事象とある事象の関連性。
風が吹けば桶屋が儲かる、というルールを見出すことができれば、それはこの資本主義社会においては大きなメリットであることには間違いないが、それを個人の問題として深く考えるのであれば、それはそれまで言語では語られることのなかった規則性の発見であり、それこそが科学にとっての拡張である、ということだ。
つまり、宇宙というものは未だ発見されていない規則性に溢れたカオスであり、その中に新たな規則性を見出しそれについて語ることを「科学」と呼ぶ。
これは、限りなく誤差=0に近づこうとする学習曲線から、「誤差=0」を宇宙の真理としたときにその地点に近づこうとすることである。
後出しジャンケンと言われるのは仕方がないかもしれないが、僕は「ビッグデータ」がバズワードだった時に、次にバスワードになるのは「ニューラルネット」だ、と確信していた。
今の第三次AIブームは、ディープラーニングが中心になっているが、わざわざ新しげな言葉を持ってくるまでもなく、そこで語られていることの本質は「ニューラルネット」である。
ただ、バズワードを自分からは話題にはしない、という僕の規則に従って、僕はその予言を誰にも話さなかった。
だから後出しジャンケンと言われても仕方がないのだが。
ただ、この「ビッグデータ→ニューラルネット」という流れについて言えば、それを予言したからといってそれほど大威張りするほどのことでもなく、ビッグデータが騒がれているときに、その本質を「無数のデータで溢れかえるカオスの中から規則性を(非言語的に)発見する」ということがわかっていれば普通にたどり着く結論である。
むしろそこにたどり着かなかった方がおかしい、というぐらいのものだ。
そして次のバズワードを言い当てることができたからといって喜んでいてはいけない。
なぜなら、バズワードについて自分からは話題にしてはならないからである。
それが品性というものだ。
かつて「データウェアハウス」や「データマイニング」、古くは「多変量解析」などという言葉でバズワードとして何度も登場した言葉の塗り直し、あるいは別の角度から同じようなことを言い直しただけの言葉。
そのことにさえ気づかないまま、「ビッグデータ」とさえ言っておけば様になると勘違いしているゲスでヤンスたちがのさばっていた。
それは仕方のないことでもある。なぜならそれがバズワードというものだからだ。
ここで大切なことは、「(そこで扱われている)バズワードの本質は何か」ということである。
ビッグデータ、データウェアハウス、データマイニングなどは、それを応用可能な技術としてうまく活用することで経済的な結果を得る、とうのがこの資本主義社会での常識になるのであろうが、個人の問題としてそれについて考えるのであれば、そこに本質を見出すよう心がけることが大切である。
ビッグデータ、あるいはそれと同じようなことを指すものの本質は、それが「宇宙の縮図である」ということである。
高速に大量のデータを処理することができるコンピューターによって、人間がデータを眺めているだけでは気づくことができなかったある事象とある事象の関連性。
風が吹けば桶屋が儲かる、というルールを見出すことができれば、それはこの資本主義社会においては大きなメリットであることには間違いないが、それを個人の問題として深く考えるのであれば、それはそれまで言語では語られることのなかった規則性の発見であり、それこそが科学にとっての拡張である、ということだ。
つまり、宇宙というものは未だ発見されていない規則性に溢れたカオスであり、その中に新たな規則性を見出しそれについて語ることを「科学」と呼ぶ。
これは、限りなく誤差=0に近づこうとする学習曲線から、「誤差=0」を宇宙の真理としたときにその地点に近づこうとすることである。
後出しジャンケンと言われるのは仕方がないかもしれないが、僕は「ビッグデータ」がバズワードだった時に、次にバスワードになるのは「ニューラルネット」だ、と確信していた。
今の第三次AIブームは、ディープラーニングが中心になっているが、わざわざ新しげな言葉を持ってくるまでもなく、そこで語られていることの本質は「ニューラルネット」である。
ただ、バズワードを自分からは話題にはしない、という僕の規則に従って、僕はその予言を誰にも話さなかった。
だから後出しジャンケンと言われても仕方がないのだが。
ただ、この「ビッグデータ→ニューラルネット」という流れについて言えば、それを予言したからといってそれほど大威張りするほどのことでもなく、ビッグデータが騒がれているときに、その本質を「無数のデータで溢れかえるカオスの中から規則性を(非言語的に)発見する」ということがわかっていれば普通にたどり着く結論である。
むしろそこにたどり着かなかった方がおかしい、というぐらいのものだ。
そして次のバズワードを言い当てることができたからといって喜んでいてはいけない。
なぜなら、バズワードについて自分からは話題にしてはならないからである。
それが品性というものだ。
myinnerasia at 08:01│Comments(0)│メタロジック