映画「宇宙人王さんとの遭遇」アキネーターのアルゴリズムを想像で書いてみる

2016年06月30日

下ネタは何がおもしろいのか?

ダジャレと並んでレベルの低い笑いとされる、「下ネタ」について。
「下ネタ」の定義は、排泄に関することを笑いにするものと、性に関することを笑いにするものの2種類があるが、日本での「下ネタ」という言葉は元々は前者を指すものだったらしい。

下ネタを嫌う、あるいは意図的に避ける、 というお笑いの人は結構いる。
日本の古典芸能である落語においても下ネタはしばしば出てくることがあるのだが、三平一門では下ネタはタブーである。また、萩本欽一と欽ちゃんファミリーにおいても下ネタはタブーとされている。

「関西は笑いのためには手段を選ばないが、江戸は粋の文化であるから下ネタは嫌われる」というが、色艶をあつかった都々逸は粋であると思うのだがどうなんだろう?関西人の僕にはそのあたりはわからないなあ。

萩本欽一については、意図してか結果としてそうなったかは別として、「国民的な笑い」の象徴であるから、下ネタがご法度であるというのは頷ける。
だが、だからこそ欽ちゃんはおもしろくない。

さて表題にもある、下ネタの何がおもしろいのか、ということだが、これはダジャレと同様、謎である。

一般的に排泄、性に関する話題は公衆の面前ではタブーとされている。
すぐに思いつく「下ネタがおもしろい理由」としては、そのタブーを犯すことがおもしろい、ということである。
これは確かにある。
その場での笑いをとるために、過去に自分が犯した、自分ではそれほど大したことはない、と思っていた犯罪について話してしまったために芸能人人生を棒に振った芸能人が結構いる。
下ネタで語られる内容はタブーではありながら、それを犯すこと自体は犯罪にはなっていない。なので笑いとして成立する。

下ネタを具体的に笑い、しかも高度な笑いにしている例として僕がすぐに浮かぶのは伊集院光である。
伊集院光の高度な下ネタは、「笑いのためには手段を選ばない」関西での下ネタとは異なり、「(笑)い」と呼ぶべきものである。

伊集院光の下ネタについて考えると、いわゆる下ネタというものが単にタブーを犯すことだけで笑いを誘うものではないことに気づく。
それは「自虐性の笑い」と「あるあるネタ」である。

伊集院光の下ネタは基本的に自虐的である。
自分が短小で仮性包茎であること、ときどきウンコを漏らすこと、特殊な性的趣味を持っていること、ということで他者よりも劣っている、ということを笑いにする。

下ネタというものが、排泄、性に関するものである、ということはつまりはプライベートな問題で、普段は他人とは共有することのないものである。
他人と共有することがない個人的な場においての現象に共通性があるとすれば、それはあるあるネタになる。
つまり、「誰もがうすうす気づいているが、まだ意識上にはのぼっていない微妙なこと」をネタにしていることになる。

タブーを犯すことで笑いを誘いながらも、それは自虐的であり、誰もが薄々気づいているがまだ意識上に野持っていない微妙なことを見せてくれる。
だから下ネタはおもしろい。


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myinnerasia at 18:07│(笑)い 
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