2016年07月31日

「人工知能」という言葉遣いについて

「第3次人工知能ブーム」と言われる昨今について、僕はずっと違和感を感じている。
あたかも「第1次人工知能ブーム」と「第2次人工知能ブーム」というものがあったかのような言葉遣いについて。

少なくとも、僕がニューラルネットの研究をしていた20年ほど前の頃のことを「第2次人工知能ブーム」などとは呼んでいなかった。 
「第2次ニューラルネットブーム」あるいは「第2次パーセプトロンブーム」という言い方はあったのかも知れない。

なぜなら、当時は「ニューラルネット」と「人工知能」ははっきりと使い分けていたからだ。
 

当時の「人工知能」という言葉は、エキスパートシステムをはじめとした、「言語的処理」をするもののことを指しており、その中にはニューラルネットは含まれてはいなかった。

ニューラルネットを研究している者の間では、「人工知能」という言葉は鬼門であり、揶揄の対象、という雰囲気があった。
対象を言語的に処理する、つまり、if-thenの条件分岐のかたまりのようなプログラムで回答に導く、という、とてもつまらないものを「知能」と呼ぶことの軽薄さと、問題意識が欠如したまま、そのようなものを力技で作り出そうとしている愚かな研究者たちと自分たちを一緒にしてほしくない、という雰囲気。

ただ専門外の人に自分の研究内容を説明する際には、「人工知能」という方が伝わりやすい、ということもあり、そこで妥協している人もいたのではあろうが、わざわざ「人工頭脳」という言葉を使って、自分の研究を「人工知能のようなつまらないものと一緒にしないで欲しい」という気分を表面に出している者もいたように思う。

とにかく、「人工知能」という言葉は20年前ではネガティヴな言葉であった。

そして月日の流れとともに、そのような「つまらない研究」である(言語的処理を基本とした)人工知能というものは廃れ、専門外の人には気づかれないまま、他のものを指す言葉として復活することになった。

それが今の「第3次人工知能ブーム」である。 

この第3次人工知能ブームでは、かつて「人工知能」の対極と思われていたニューラルネットこそを「人工知能」と呼ぶ、言葉のすり替えをすることによって、あたかも人工知能というものが20年前から大きく進歩したかのような印象を専門外の人に与えることに成功している。

だがそれは進歩でも何でもない。
「人工知能」という言葉が指す対象が変わっただけのことである。

巷では「人工知能が囲碁の名人に勝った」だとか、「人工知能がレンブラントの絵を描いた」などと大喜びしているようであるが、これは何もニューラルネットの研究が進んだために実現したものではなく、ただ単に20年の時を経ることによって、扱えるメモリーのサイズやCPUの処理能力といったインフラが大幅に進化した、ということに過ぎない。
わざわざ「ディープラーニング(深層学習)」などというバズワードを作り出さなくても、論理的にはインフラさえあれば今やっているようなことは20年前にもできたはずである。

つまり、今「人工知能」と呼ばれているもの自体は、20年前から本質的には何も進歩していない、ということだ。

幻の「第2次人工知能ブーム」から20年の時を経て何も進歩していない、という「第3次人工知能ブーム」が、真の意味で進歩するためには、そのゴールを設定し直す必要がある。
ゴールの再設定抜きには今の人工知能ブームに進歩はありえない。

「人工知能によってより正確に顔認識ができるようになった」だとか、「人工知能による自動運転ができるようになった」などという、技術的な応用など、どうでもいい。退屈だから。そこでの成果というものはだいたい「知能」とは何も関係のない問題だから。

囲碁の名人に勝つことやレンブラントの画風を真似た絵を描くことができる、ということはそれほど悪くない。
何の役にも立たない、ということは素晴らしい。本来の意味における「知能」についてマジメに考える時間が与えられたような気分になれる。
囲碁の名人に勝つ人工知能が現れたからといって、我々の生活が何か進化したように感じられるだろうか?
それによって何かが便利になるのだろうか?
ーーーならない。
だからこそ、そこには「知能とは?」という議論が生まれる。
そして、そういう何の役にも立たない「人工知能」を追い求めることにのみ人工知能の今後の可能性がある。

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myinnerasia at 10:09│Comments(0)コンピューター科学 

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