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2016年07月14日

創発:無機体から作られる有機体

「創発」という言葉は、なんだか普通に使われている言葉のような気もするが、聞いたこともない気がする。
どうでもいいような話、たとえば何かの開会式での偉い人の挨拶とかで、使われていたような気もする。

「これからは、全社一丸となって創発していきましょう!おーーーーっ!」
。。。いや、やっぱり聞いたことないか。。。

より単純な仕組みでできた「部分」から成る「全体」は、それを構成する「部分」の総和を超えることがある。
これを「創発」という。 
このブログでこれまで取りあげた、フラクタル幾何学発酵ニューラルネットワーク人工生命はいずれも創発という側面が基本となっている。

ある形を構成するそれぞれの部分がその全体の形になっている、ということを再帰的に繰り返すことで有機的な形になっていく(フラクタル幾何学)、数種類の単細胞生物(菌類)がせめぎあって生態系を作る(発酵)、入力と出力を持つ単純なニューロンを何層かにつなぎ合わせることで脳が行っている処理に近い処理ができるようになる(ニューラルネットワーク)、交配を繰り返すことによって環境に適合した種に進化していく(人工生命)。

より単純な部分の集合が、全体としてより有機的なシステムを構成するようになる。

これはプログラミングにおける低級言語と高級言語の関係と一見似ているようではあるが、本質的に全く異なるものである。
より低水準なことを抽象化することで全体を作り上げる。

たとえば、、、
何か買い物をするときのお金の払い方についてを考えてみる。
「お金を払う」という行為をもうすこし細かく言うと「財布から品物の代金を取り出して払う」となる。
さらに細かく考えると、それは店員に払うのか、自動販売機にお金を入れるのか、カードで払うのかもしれない。
あるいは品物の金額分ちょうどのお金がなかったので、お釣りをもらうなど、「お金を払う」という言葉を細かく言い始めるときりがない。
更にお札なり硬貨なりを払う時の行為を物理的に考えると、お札を取り出して渡す場合と硬貨を渡す場合では、そこでの手の動きや力の使い方が変わってきて、、、
、、、などというようなことは「お金を払う」ということを考える時に一切考えないはずである。 
つまり、「お金を払う」という高水準の言葉は、より低水準な行為から成っていると言える。
言い換えると、お金を払う際の「硬貨をつまんでレジの皿の上に置く」という低級言語で書くことができるような単純な行為が集まって、「お金を払う」という高級言語で書かれる行為を形成する、ということである。

この低水準と高水準の関係は、創発における部分と全体と同じように見えるかもしれないが、創発の最も重要な「全体が部分の総和を超える」ということが起こっているとは考えられない、という点で創発と呼べるものではない。
つまり「硬貨をつまんで」「皿の上に置いて」「お釣りをもらって」という細かい動作の総和が「お金を払う」という行為になっているだけのことで、そこにそれ以上のものごとは起こっていない。
言い換えると、「お金を払う」という行為は、「硬貨をつまむ」などの最小単位の行為に「還元」できる、ということである。

これに対し、たとえばニューラルネットについて、それを構成している個々のニューロンは確かに入力に対して出力を返す、という単純な行為をしているだけであるが、それが層となって無数につなぎ合わされることによって、人間の直感的な問題を処理する、といったように、部分の総和以上のものになっている。
これは、「直感的な問題を処理できる」という全体から、それぞれのニューロンの動きに還元することができない。
そのため、しばしば「オカルト」と言われることもあった。 

還元主義に基づいた分析を「科学」とする間違った態度は、「創発」については還元的に説明することが不可能であるため、それをオカルトとしなければならない事情があった。
今では「創発」は普通に科学として取り扱われるようになっている。
なので、自然界のあらゆるところに「創発」というべき事象があふれている以上、創発をも対象に入れて考えることこそが科学である、などということを今さらいう必要もないのであるが。

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