YMO: 黄色い魔法はとけることなくゲスでヤンス

2016年05月19日

ツインピークス:ドラマでもなく、ゲームでもなく、ましてやアートでもない、なにものか

ツインピークスについて、それを単にある、かつて大ヒットしたドラマである、とだけ
考えるべきではない。
それはゲームのようなものであり、アートのようでもありながら、そのいずれでもない、
としか言いようのないある現象であった。

ツインピークスブームをリアルタイムで味わうことができた僕は、YMOを生で感じられる
時代の中で時間を共有できた、ということと同じぐらい幸せだと思う。

ツインピークスが単なるドラマとしては考えられない理由のひとつめとして、その展開が
あまりにもぶっとびすぎている、ということが挙げられる。
ドラマや映画について、よく「展開が読めない」ということがその作品のおもしろさの
ひとつとして語られることはよくあることだが、ツインピークスについてはそういうレベルでは
ない。言わば、ドラマとして成立し得ないほどにぶっとんでいる、とでも言うべきか。

まず、登場人物が多すぎる。登場人物が数十人出てくるドラマというのはそうない。
その登場人物の多さのために、ドラマを見始めるころは、関係図を描きながら見ないことには
話についていけなくなる。
「登場人物が多すぎる」ということがドラマのおもしろさのひとつになっているとは、明らかにおかしい。

物語の前半の主要なテーマである、「誰がローラパーマーを殺したか?」という謎は、
ツインピークスを観ているすべての人にとっての最大の関心事で、ここでも「登場人物が多すぎる」
ということがおもしろさに繋がっている。
「誰がローラパーマーを殺したか?」についての候補が無数にあるということ。
そのために、ツインピークスにはまっている者どうしの間で、「オレは◯◯だと思う。なぜなら。。。」
という会話が、ドラマを離れたところで展開される別の楽しみであった。
あちこちで「誰がローラパーマーを殺したと思うか?」というアンケートがなされ、登場人物が
ずらっとリストされ、チェックボックスがついたTシャツ(自分が思う人物に自分でチェックを入れる)や、
「ローラパーマーを殺したのは私だ」「私は誰がローラパーマーを殺したかを知っている」
書かれたTシャツが流行った。

そしてドラマ中最大の謎として引っ張られた「誰がローラパーマーを殺したか?」という謎が解かれた
後の展開がひどすぎる。
小さな田舎町で起こった一件の殺人事件が町じゅうが大騒ぎになり、観ている者にとっても最大の
関心事になり、Tシャツまで出てきたほどであったにもかかわらず、その謎が解かれたあと、数々の
他の殺人事件が起こるのであるが、それらはあまりにもあっさりと流されていく。
そのアンバランスさ。
ひどい。

また、他のドラマや映画と同じように、物語中には数々の伏線が散りばめられている。
ドラマの一話の最後にその伏線が意味ありげにアップで映しだされ、「続きは次回」という感じで
引っ張られるわけだが、その伏線が以後一切出てこない、という裏切りは何度もある。
ひどい。

ツインピークス、およびそのぶっとんだ展開について「ひどい」と語るときには、すでにそのひどさに
自分が巻き込まれているということを自覚するべきであり、その状態はあきらかに「ピキピキきている
というべきものである。
ツインピキ。。。いや、なんでもない。

ツインピークスの魅力としてそのぶっとんだ展開以外に挙げるとすれば、「全体的な空気感」とでも
いうべきなにものか、があるだろう。

毎話ドラマの間じゅう流れている低く暗い音楽。
全体的に薄暗い画面。
無数の不気味な登場人物。

これら全体があの独特な空気感を醸し出している。

物語の中で、主人公のクーパーがコーヒーを美味そうに飲んだり、チェリーパイを美味そうに食べる
シーンが何度もあるのだが、観ていると本当にチェリーパイを食べたくなる。
ここで食べているものがチェリーパイである、ということも実はこの空気感を醸しだすのに役立っている。
チェリーパイの毒々しい甘さがここでは重要で、たとえばもしこれがイチゴのショートケーキであっては
ならない。

ツインピークスが単に大ヒットしたドラマである、という以上のあるなにものかである、ということの
もうひとつに、その「立体的な展開」が挙げられる。
先ほど挙げた、「誰がローラパーマーを殺したか?」Tシャツはその「立体的な展開」のひとつである。

ドラマをはみ出して展開していく例としてもうひとつ、「誰がローラパーマーを殺したか?」という
謎解きの中で重要な役割を果たす、ローラパーマーの日記がある。
ローラが遺した日記が死後に見つかるのであるが、その中に重要なヒントが隠されている。
ツインピークスにはまっている誰もが、その日記の中身を見たい!と思いながらドラマにのめり込んでいく
わけであるが、なんとその「ローラパーマーの日記」は当時、本として出版されたのである。

また上記で挙げたように、ツインピークスの中では、物語の展開に全く関係のないところで、コーヒーを
美味そうに飲むシーンが何度もあるわけだが、これは缶コーヒーのCMになっていたりする。
そのCMは、ツインピークスに出演していた本当の俳優たちによってツインピークスのパロディをやって
いるものであったが、そこには実際にツインピークスを観ている者にしかわからないジョークが
散りばめられており、ファンにはたまらないCMになっている、という意味においてもCMとして
成功しているわけであるが、このことはまた、ツインピークスというドラマが、単なるドラマとしてだけでは
なく、そのCMが分かる人どうしのコミュニティーのようなものを形成していたとも言える。

ツインピークスはそのぶっとんだ展開、独特の空気感、立体的な展開という、それまでのドラマには
なかった、単にドラマでもなく、ゲームでもない、ましてやアートでもないなにものか、である。


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