「イジメはかっこ悪い」の本当の意味自虐的な笑いがすべていい、というわけではない

2016年06月15日

制作機械は質を凌駕する:大竹伸朗、プリンス、池田学

東京都現代美術館で開かれた「大竹伸朗 全景1955-2006」展は、もう今から
10年近く前の出来事であった。
都現美が大竹伸朗の作品で埋め尽くされた暴力的な個展。
作品の内容は別にして、半分ぐらいを観たところで、もうグッタリとしていた。
作品数の半分だけであったとしても、おそらく大きめの企画展よりも作品数は多い
と思う。
それのさらに倍である。

「作品の内容は別にして」とは書いたが、とにかくこの展覧会については、質よりも
その量に圧倒される。

この時の図録は、のちに書籍として販売されているようだが、 Amazonでのレビューを
見ても、皆がその図録の分厚さについて言及しているのがおもしろい。


とにかく、「量は質を凌駕する」という言葉を思い知らされる展覧会であった。
(内容について一切触れないところについては気にしないように)

先日突然流れた、偉大なミュージシャンプリンスの訃報はショッキングだった。
僕が高校生の時、ちょうどテレビでMTVが流れるようになり、洋楽のプロモーション
ビデオブームになったわけだが、当時の高校生の間では、マイケルジャクソン派と
プリンス派に分かれていて、僕はプリンス派だったので、ショックだ。

プリンスについてよく聞かれる噂に、「未発表のストック局が1000曲以上ある」と
いうのがある。
これは噂だけに信ぴょう性については分からないが、とにかく、発表曲よりもはるかに
多いストック曲が未発表のままある、という神話。
1000曲の未発表作品がどこかに眠っている、と想像するだけで、そこに力を感じる。
これも「量は質を凌駕する」という言葉を思い起こさせる例である。

池田学の細密な絵を観るとき、僕はいつもプログラミングで同じようなものを描くと
したらどうするだろうか、と考えてしまう。
たとえ僕に絵心があったとしても、池田学と同じだけの手作業をしようという気には
ならないだろう。
とても人間が手作業で行ったとは思えないほどまでに緻密に描き込まれている。
その作業量、という意味において、池田学の作品についても「質を凌駕する」もの
であるといえる。


ものを創る者は、大竹伸朗、プリンス、池田学のように、質を凌駕するだけの量を
生産することで他の追随を許さない力を得ることができる。



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