ピキピキ

2016年06月27日

インターネット上で日本独自に発展したガラパゴスを代表するものは何と言っても2ちゃんねるである。
インターネット創世期より、掲示板というものがあり、さらにはそれ以前のパソコン通信という閉じられた世界や、もうすこしアカデミー寄りになるネットニュース(fjなど)でも掲示板で熱い議論が昼夜問わず繰り広げられていたが、それは2ちゃんねるで爆発することになった。

2ちゃんねるは、まず「社会」や「文化」、「家電製品」、「食文化」などの大カテゴリがあり、その下に「板」と呼ばれる分類がある。ここまでは2ちゃんねるを運営している側が設定するものであるが、その各板に、ユーザーが自由に「スレッド」と呼ばれる話題の場を作ることができる。
ひとつのスレッドは、発言ひとつずつに番号が振られ、それが1000に達したらそのスレッドはもうそれ以上書き込めなくなる。
以上のしくみにより2チャンネルは、UGCとして、圧倒的な量のコンテンツと、管理側のコントロールを超えた発展を遂げることになる。

2ちゃんねるが日本独自のガラパゴスとして発展し、そこでさまざまな「事件」が起こることになったのは、この「板までは運営の管理下にあるが、スレッドは誰もが自由に作ることができる」というある程度管理された自由という点と、もうひとつは「匿名性」にある。
発言時に名前を名乗ることはできるのであるが、基本的に「名無し」のままにしておくという不文律があり、そこにわざわざ名前を書くことは「コテハン(固定ハンドルネームの略)」と言って、そのスレッドでよほどの発言権を持つものか、以前の発言との一貫性を持たせるためにすることが多い。基本的には名無し、つまり匿名である。

よく、「便所の落書き」と揶揄される通り、2ちゃんねるの書き込みはその匿名性のために発言に責任を持つ必要がなく、しばしば便所の落書きのような下品で無責任なものが現れることがある。
だが、その匿名性故に、なかなか手に入れられない生の情報が手に入ることもある。

この「ある程度管理された自由」と「匿名性」という2点の特徴が原因で、2ちゃんねるはさまざまな「事件」を起こすことになる。
まず思い出すのは、2ちゃんねるでしばしば殺人予告めいたものが書き込まれ、逮捕者が出るほどの大騒ぎになることや、2ちゃんねるで知り合った者どうしで犯罪や集団自殺をする、などといったものである。

世間を騒がせる「事件」以外にも、2ちゃんねるで使われる、いわゆる「2ちゃん用語」というものも大きな意味では「事件」である。
 「空気読め」ということばをわざと「空気嫁」と誤変換したり、「既出」を「ガイシュツ」と誤読をすることで新しい言葉が生まれそれが2ちゃんねるでのスラングとなる。

あるいは「ぬるぽ」と誰かが書き込めば「ガッ」と返す、という変なルールがある。
これはプログラマーしか知らないはずなのだが、ヌルポインターという言葉を略して「ヌルポ」というプログラミング用語がある。
その昔、翻訳サイトだか何かで、なぜか「ぬるぽ」と打つと「ガッ」と翻訳されるというバグがあり、それが始まりで、誰かが「ぬるぽ」と書くと「ガッ」と書く、という不文律が生まれ、今も続いている。

以上のような、現実世界までを巻き込む事件もあれば、2ちゃんねるという閉じられた世界だけで独自の文化のようなものが生まれた、というものまでを含め、そこは既にアジアである。
 

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2016年06月23日

前回のあらすじ】
  • コモエスタ坂本が、自身のホームページ"Comoesta's Japan Home Vage"でやっていた嬲リンクに(仮称)ぴよぴよというポン引きホームページをリンクして嬲りものにした。
  • それを知った(仮称)ぴよぴよはコモエスタ坂本に抗議し、「裁判を起こす」とまでいう騒ぎになった。
  • 結局裁判はされなかったが、この事件はインターネットで個人が情報を公開すること、またそれをリンクすること、という問題を定義することであり、その後の日本のインターネット社会に大きな影響を及ぼすものであった。
僕はそんなコモエスタ坂本と一度だけ電話で話をしたことがある。
当時僕がやっていたAlife Gardenという、人工生命をウェブ上で育てる、というサイトに興味を持ったコモエスタ坂本が、自身のメルマガで人工生命特集をするとのことで取材を受けたのだ。
もう20年も前のことではあるが、取材のためのやり取り以外にも、ぴよぴよの件だとか、今後のインターネットについてだとか、色々なことを話したことを今でも覚えている。とにかく、始まったばかりのインターネットという新しい時代についてマジメに考えている人だった。

その後、僕は度々コモエスタ坂本について検索をかけてみるのだが、なぜだか今のコモエスタ坂本に関するものは何も見つからない。何も残っていない。
"Comoesta's Japan Home Vage"はもう残っていないし、Web Archiveでも見られなくなってしまった。Web世界遺産候補になっていると聞いたこともあるというのに。
僕との対談もかつてはインターネット上で閲覧できていたのだが、今はもうないようだ。

もしかしたらもうこの世界には存在しないのかもしれない。
あるいはそもそも存在しなかったのかもしれない。
でも、今でも僕は時々コモエスタ坂本を思い出す。
「コモさんならこういうときなんて言うだろう?」と考えることがよくある。
ブログについて。SNSについて。広告を中心とした今のインターネットビジネスについて。

僕にとってコモエスタ坂本は宇宙意識体である。  
映画「JM」に出てくる、時々登場して重要なメッセージを残す、ネット上にだけ存在する意識体のような。



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2016年06月22日

前回のあらすじ】
  • 20年前、インターネットが爆発的な普及を遂げる前夜、個人のホームページというものがあった。
  • まだブログが無かった当時は、HTMLを覚え、FTPでアップするという手作業をやっていた。
  • そんな中で、コモエスタ坂本がやっていた"Comoesuta's Japan Home Vage"は、今の2ちゃんねる用語の元となる独特の言葉遣いを最初に始めたものであった。
  • 当時は個人ホームページの中には、女性性をウリにしたものがあり、人気を獲得していた。
  • それをコモエスタ坂本が"Comoesta's Japan Home Vage"で取り上げ「嬲リンク」という企画にした。
  • そして(当然のことながら)事件が起こった。
嬲リンクは女性性をウリにしている女性のホームページを取りあげ、嬲りものにする企画であったが、ひとつだけ、例外的に男性がやっているホームページを取りあげたことがある。
今ではもう当時のページが残っていないので、記憶に頼るしかないが、「ぽよぴん」だか「ひろぽん」だか、そういう名前を名乗っている男性だったと思う。
面倒くさいので以降「ぴよぴよ」ということにしよう。絶対ぴよぴよではなかったけど。

で、その「ぴよぴよのホームページ」は当然自分の女性性をウリにするわけではなく、世の女性性をウリにしたホームページを集めたリンク集を公開するものであった。
コモエスタ坂本はそれを「ポン引きホームページ」として揶揄した。

コモエスタ坂本にとって、女性性をウリにすること、およびそういうものを集めたポン引きをすることそのものについては実はそんなに怒っていなかったのかも知れない。
それよりも彼は、まだ生まれたばかりのインターネットという環境における「リンク」の意味を問題提起したかったのだろう。
インターネット上に公開されているホームページに匿名性があるのか?インターネット上に公開されている情報に、公開している者はどこまで責任を負うことになるのか、という問題提起。

そのコモエスタ坂本の罠にまんまとはまったのが、まぬけなぴよぴよであった。

ぴよぴよは、自らのポン引きホームページが嬲リンクで笑いものにされていることを知って、コモエスタ坂本に抗議をしてきた。
その様子も逐一、"Comoesta's Japan Home Vage"公開されていた。

ぴよぴよの言い分はこうだ。
自分はリンクをする先の人たちにひとりずつ了解を得てリンクしている。そのページに無断でリンクを張って、そこにリンクされている彼女たちを笑いものにするのはけしからん。
なるほどポン引きとしてはその彼女たちを守るという態度はたいしたものだ。

だが、そもそもリンクを張るということに了解が必要という不文律は意味があるのか?
インターネット上で「リンクを張る」ということの意味は?
という問題に、ぴよぴよはあまりにも無頓着すぎた。

そもそも個人であっても、インターネット上で何らかの情報を発信するというときには、責任というものが発生するはずで、そこで発信した内容について反論されたり、揶揄されたりすることも当然想定されているべきである、ということをコモエスタ坂本が浮き彫りにしようとしていたのである。

その問題意識をまるで無視したまま興奮状態にあったぴよぴよはついに、「コモエスタ坂本を起訴する」とまで言い出した。
そのときのコモエスタ坂本の反応に、ライターとしてのプロ意識を感じた。
「ぴよぴよは口だけで『起訴する』などと言っているが、本当に起訴してくれたらライターとしてはネタができて嬉しい」と。

結局コモエスタ坂本の予想通り、裁判に至るまでにはいかなかったが、この事件はその後の日本のインターネットのありかたに大きく影響するものとなった。
 


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2016年06月20日

2ちゃんねるについて書いてみようと思ったが、その前にコモエスタ坂本について書かなければ!と思って急遽。
いわゆる「2ちゃん用語」といわれるものの源流はコモエスタ坂本にある、ということを誰もが忘れている。あるいは知らない。

というよりも、2ちゃんねるにみられるような、日本独特の形に発展したガラパゴスなWeb文化の源流はコモエスタ坂本にある、といっても過言ではない。
たぶんないと思う。
ないんじゃないかな?まちょと覚悟はしておけ。

今からちょうど20年前、まだインターネットが一般化する前夜、Webの世界はまさに創世期で、誰もが手探りであらゆるものがカオス状態で入り乱れていた。
インターネットに金の匂いを嗅ぎつけてくる奴らがやってくる前夜。そのカオス状態こそが桃源郷であり、アジアであった。

インターネットが軍事目的であったところから開放され、大学間を繋ぐ研究ツールからさらに一般家庭からも繋ぐことができるようになった直後、当時のアーリーアダプター達がこぞって個人ホームページを作って公開するようになった。

そんな中、コモエスタ坂本が登場した。
"Comoesta's Japan Home Vage"というサイトは、「二れはコモエスタ坂本が日本のホームページぞす」で始まり、「日本についそ」という間違った日本紹介を間違った日本語と英語で紹介する。
「二れは」、「ぞす」、「イソターネット」に見られるように、わざと日本語を間違える、という今のいわゆる2ちゃんねる用語の源流はここにある。

まだブログなどが存在しなかった当時の個人ホームページ(当時の呼び方)とは、今から考えたらかなりローテクで、今ではブログで簡単にできるようなことを、わざわざHTMLを覚えて、それをテキストエディタで書いて、それをFTPでサーバーにあげる、ということを誰もが手作業でやっていた時代。
それでも個人の自己表現をしたい願望は強いもので、皆がHTMLを覚えてその手作業をすることで世界中に自分を発信していた。

男性比率がかなり高かった当時のインターネット人口から見て、個人ホームページで最も人気があるのは、当然のことながら女性の個人ホームページである。
そのことを一番分かっていたのは当時、少数派であったはずの女性インターネットユーザーで、さらに個人ホームページをやっていた女性たちだ。
彼女たちは、その女性性をウリにすることで、世のエッチな男どものアクセスを稼ぎ、そこであからさまな自己表現を繰り返していた。別にエロなページだったわけでもないのだが。

今から考えれば、その自己表現というものもかわいいものであった。
まだインターネットでのビジネスモデルが確立されていなかった当時、そこに何らかの経済的な利益は発生する由もなく、ただ純粋に「自己表現」という欲求が満たされていただけの世界。
ああ、なんて牧歌的なんだろう?

でも、コモエスタ坂本は怒っていた。
女であることをウリにして、世の注目を独り占めしようとするその態度に。
ビジネスモデルが確立されていないインターネット創世期の価値観においては、金銭的な利益を得ようとすることよりも、「注目されること」こそが最も重要な"利益"であった。
ああ、なんて牧歌的なんだろう?

コモエスタ坂本は「女であることをウリにしている」個人ホームページをとりあげてそれを批評する、というよりも嬲りものにする、という「嬲リンク」というリンク企画を彼のページで始めた。 
それまで、慣れ合いで他の個人ホームページにリンクを張って、お互いに仲良く来訪者を共有しましょ、という牧歌的な空気をぶち壊し、基本的にネガティヴな文脈で他のホームページにリンクを張るということをやりのけた。

そして(当然のことながら)事件が起こった。

んー、長くなりそうなので何回かに分けて書くことにします。
続きはWebで。 

 


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2016年06月19日

90年代のボサノバ(笑)カルチャーを彩ったSTUDIO VOICEという雑誌が「YMO環境以後」という特集で「YMO環境」という言葉を使ったこと自体は、すばらしいことであった。



YMO環境

YMOはただ音楽を提供するグループではなかった。
登場当初から、スネークマン・ショーの音声コントをアルバムの曲間に散りばめたり、THE MANZAIというお笑い番組に漫才師として登場したり、数々のパフォーマンスが音楽以外の領域に広がっていっただけではなく、YMOに繋がる周辺のあらゆるジャンルがそこに巻き込まれていった。

この時代の空気を「YMO環境」と名付けたことは正しい。

STUDIO VOICEの「YMO環境以後」特集では、「以後」といいながらも、まずはその「YMO環境」という時代を整理するところから始まる。

特集の冒頭に出てくる「YMO環境マップ」ははっきり言って「マップ」にはなっておらず、それぞれの関連性を繋ぐ線の意味が不明なところがあるものの、「YMO環境」に登場するにふさわしいあらゆるジャンルのあらゆる動きが網羅されている。
横尾忠則、中沢新一、ヨウジヤマモト、川久保玲、カフェバー、ビックリハウス、流行通信、糸井重里、村上龍、パルコ、ディスコ、、、

これらのキーワードはおそらくマップにすることに無理があったのだろう。
ただリストとして羅列するだけで十分だったと思う。雑誌的にはそれでは紙面が成り立たない、という気持ちはわかるが。

この時代の空気を知らない世代にとっては、あるいは当時、時代の空気にあまりにも無自覚だった者にとっては、これらのキーワードは「バブル」のキーワードにしか聞こえないものなのかも知れない。
確かにパルコ、西武などのセゾングループや、流行通信、広告批評、糸井重里などの広告業界は、それ以後のバブル経済を引っ張っていくものだあっただろうし、ディスコ、カフェバーという響きは、今の時代から振り返った時に「バブル」という言葉に感じるあるダサいイメージにぴったりくるものだ。

ここで重要なことは、ここに挙げたキーワードはいずれも、YMOが直接しかけたものではない、ということである。
中沢新一の本を小脇に抱え、ヨウジの黒くてブカブカの服を身にまとい、カフェバーで憂鬱そうにカクテルを飲む人は必ずテクノカットであったし、ウォークマンではYMOを聴いていた。

上記で挙げたキーワードは、「YMO環境マップ」から僕が作為的に抜き出したものだが、本当は、マップの半分を音楽が占めている。
もちろんYMOに繋がるミュージシャンが描かれているわけではあるが、「YMO環境」を語るのであれば、音楽について語るべきではなかった。

この特集は1992年のものである。当時はハウスの全盛期で、特集の中野細野晴臣のインタビューでもハウスについて語っていたりする。これは質問者が誘導したため、語ることになったものだ。
「以後」という言葉には、80年代のYMO環境のようなエコシステムの再来を夢見ているのかもしれないが、そこで無理矢理ハウスを取り出すこともなんか違う。 

「YMO環境のようなもの」を夢見て、当時の空気を語るのであれば、(YMOのものも含めて)音楽について語ってはならなかった。 


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